人は鏡

自分以外の人みんな羨ましい。それは決して自分のことを誰よりも可哀想だと思っているからとかではないのだけど、周りの人はみんな、(それぞれの苦悩や障害もあるだろうに、)私にできないこと、私が躊躇ってしまうことを、やってしまえると、少なくとも、そう思ってしまっているから。軽快なフットワーク、思い切った決断、堅実な暮らし、当たり前の健康、興味関心に従順な言動、要領の良さ。FBなんか見たって、そんなことはがり考えてしまっている。人と比べてしまっている。

青くさいようだけれど、私は自分が何になりたいのか、どうなりたいのか分からない。いつまでも迷いっぱなし。こんなこと考えても無駄だというのもどこかで分かってはいる。素直に生きて、その先にあった結果が自分の何者たるかであることは、頭では分かっている。

海外で働いている同期や年下、資格を取った同期、転職した、進学した、起業した、結婚した同期。彼らの近況を見るたびに、自分が一番生きるのが下手なんじゃないかと思ってしまう。

けれど、本人曰く『毎日を忙しく楽しく充実したものとして過ごしていた』、FBを久しく開いていなかったという同期の投稿を見て思い至った。結局、誰を見ても羨ましく思うのは、その人の選択そのものが羨ましいのではなくて、私が私に自信がないから、私が私を許容できていないからだ。自分がどんな選択をしても納得や満足はできないのだろう。自分が選んでしまえば、その選択は間違いになるのだと、考えているのだ。